カンボジア 先生のいない教室
風邪をひいてしまった。インドに行く前にしっかり治さないと、大変なことになる。
時間があると、カンボジアの小学校で会った坊主頭の女の子のことをおもいだす。
その日自転車をこいでいた私はいつの間にか小学校に辿りついていた。わりと立派な校舎と広めの運動場があり、子供たちの健康そうな声が聞こえていた。学校の前で駄菓子を売っているおばさんに「OK?」とジェスチャーで中に入ってもいいだろうかと相談し、よくないことだと思いながらも、「いけいけ」と手をヒラヒラしてくれたおばさんと、好奇心に押されて学校に入っていった。
そこには異様な風景があった。
沢山の教室があり、子供たちはみんな教室で先生を待っている。席に座っている子も、遊んでいる子も、みんな先生を待っている。おかしいのは、どこにも先生の姿が見当たらないことだった。しばらくすると生徒の一人がゴングを鳴らした。みんなゴングがなるのを待っていたんだろう。いっせいに教室から飛び出して、外で走り回ったり、私の周りに群がってきたりと休み時間を満喫している。しばらくしてまたゴングが鳴った。するとサーッと教室に帰っていき、教室の窓から私をにやにやと眺めている。先生の姿は相変わらずない。また次のゴングが鳴るまで教室で先生を待つのだろうか。
奥の教室から坊主頭の女の子が手招きをしている。えーい、こうなったら、かまわんだろう、という感じで教室に入っていった。その教室は生徒が6人しかいなかった。なぜだろうと不思議に思うがあまり考えている暇はない。6人のちびっ子たちがこいつは何者だと私を見つめてくるのだ。英語でコミュニケーションを図るが、ニヤニヤするばっかりでコミュニケーションにならない。こうなったら踊るしかない。体操のような動きやまねっこダンスなどをやってみると、子供たちものってきた。そればかりか他のクラスから見学にきている子供もいる。ダンスの授業のようになった。集まってきた子の中には制服をきていない子供もいるが、制服が買えない子供たちなのか。運動場には、制服を着ていない子供たちが遊具にぶら下がっている。もしかしたら学校に通えない子供たちなのかもしれない。私がそんなことを考えていると、坊主頭の女の子が黒板に絵をかき始めた。これがうまい。ラインが綺麗でおどろいた。次のゴングが鳴るまで、絵をかいていたが、その子の絵のうまさに感心するばかりだった。才能の原石という感じがした。
またゴングが鳴り、休み時間になり、またゴングが鳴り、授業時間になった。ここまで誰一人として大人の姿を見なかったが、ここにきて初めて大人の姿を発見。駆け寄っていき、先生かと尋ねるとそうだといった。しかしそれ以上の英語のコミュニケーションはできないようだった。先生は私を教室内に招いてくれた。その教室には30人くらい生徒がいたが、みんな席に座って先生の話を聞いている。ドアの横にはさっきの坊主頭の女の子がニヤニヤしながら私を見ている。子供たちは歌を唄いだした。坊主頭の女の子も一緒に歌っている。何の歌だろう。ホームルームのようなものが終わるとみんな鞄を持って帰ってしまった。私は坊主頭の女の子と残り、運動場で少し遊んでから帰った。英語は話さないが頭の回転の速い賢い子だった。
帰り道、自転車からいろんな大人を見かけた。路上で食べ物を売っている人や、バイクタクシーの運転手。なぜこの人たちがあの子たちの先生になれないんだろう。子供たちは先生を必要としている。バイクタクシーの運転手は英語でさえ巧みに使うのに。(あるバイクタクシー運転手は、貧しい家庭出身だったから、寺で修行僧として受け入れられ、坊さんから英語を勉強したのだといっていた。)
ホステルに帰ってからも妙な違和感が続く。私にだって日本語や英語や数学や体育を教えられる。カンボジア語さえ話せれば他の教科も教えられるだろう。教師のいない学校ってどういうことだ。あの子たちは家に帰って両親に学校で何を習ったというのだろう。制服を着て学校らしい校舎に通って、ハードはまともな教育がなされているように見えるがソフトは?
そのあとタイに来てからも、あの学校と坊主頭の女の子のことが気になっていた。
案の定、元凶はポルポトの政策のようだ。知識階級虐殺と同時に教科書や学校も壊してしまった。その後、中学を卒業していない人であっても字さえ読めれば先生になり、その先生に教えられた子供がいま先生として学校で教えているのだそう。また、カンボジアで生活するのに必要なお金が300ドルなのに対して教員の給与は80ドル。教員の多くが副業をしていることも教員不足の理由だという。
ここまできいてもやりきれない気持ちは残る。
賢くて絵心もある坊主頭の女の子は、これから義務教育を通して何を学ぶのだろうか。この世の中に画家という職業があると知る機会はあるのだろうか。
ベトナム・カンボジア・タイと三カ国歩いてきたが、もし近い将来に戻ってくる場所を選ぶとしたら、この小学校に帰ってきてあの女の子に会いたい。何かを教えられるわけでもないが、もし数か月彼女と一緒に過ごせたら、何かが起こるかもしれない。才能の原石みたいなものが圧倒的に輝いていた。先生のいない教室でみた、あの女の子のことが気になって仕方がない。
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