カンボジア伝統舞踊 先生のお宅にて

沢山のことが次から次へとおこって、この旅の目標にしていたブログを書けない。毎日ブログ書く人ってすごいんだな~。

この前話していた、ダンスレッスンの話。

簡潔にいうと通訳をたのむ人を間違えた…。

先生が英語しゃべれないので、急きょバイクタクシーのおじさんに通訳を頼むことにした。今から考えるとおじさんにもとんだ迷惑をかけてしまった。

おじさんはダンスのことが分からないから専門用語が分からないし、通訳に徹するのはなかなか難しいらしくて、先生が何も言っていない所でちょこちょこ自分の意見をいれてくる。チーン。

それでもなんとか言葉なしのダンスを通したコミュニケーションでやりきった。先生が横から指示をだし、一番弟子が模範演技をしてくれた。一番弟子の彼女は私と同い年で12歳から伝統舞踊をしているらしい。踊っている間、静かに子守唄のように歌っているのだけど、動きと声とが混じって、時間がゆっくりゆったり沈んでいくように感じた。

踊りは手首とつま先の反りがかなり必要とされて、痛い。手首をこんなに曲げたのは生まれて初めてです。初めは簡単だと調子に乗っていたが途中から手と足の動きが複雑になり、ついていけなくなった。先生は勘がいいから4日あれば一曲踊れるようなるわよと言ってくれたけど、型が100%決まっている踊りというのは忍耐がいりますな。

後半は座学のようになった。先生に「ポルポトの政策で多くの舞踊家が殺されたと聞いたけど、先生は誰からダンスを習ったんですか?」と聞くと。「ほとんどの舞踊家が殺されて、政策が終わった時に海外へ逃げていたダンサーの生き残りが国に帰ってきたの。私の父親、私の師匠、そしてもう一人の舞踊家の三人よ。」と答えてくれた。今ではたくさんの伝統舞踊家がいるが、そのほとんどが貧しい家の出身だという。学校や師匠から伝統舞踊を習った若いお踊り手がそれぞれグループに入っていく。各ダンスグループはレストランやホテルなどと提携し、観光客や地元の人を相手にダンスショーをしてお金を稼ぐそう。

先生は深い悲しみを乗り越えた人の目をしてた。じっと目を見つめてくるんだけど、そのたびに思考を読まれているように感じた。

今日行った小学校で9歳の女の子にこのダンス知ってる?と習ったダンスを見せると、知ってる知ってるーと踊ってみせてくれた。彼女はいったいどこで習ったんだろう。


柿崎 麻莉子 | Mariko Kakizaki

ダンサー柿崎麻莉子のホームページです。

0コメント

  • 1000 / 1000