ローカル家族
プシュカルから少し離れた砂漠と山の間にある家でオーストラリア人ディーンにであった。ディーンはこの家で三人の子供たちの学校資金をサポートしているナイスガイ。1人1年30万円。彼らが卒業するまでサポートするんだ、えい、とオーストラリア英語ではなしてくれた。(文章の切れ目に、えい、といれるアクセントがかわいい)来週から学校がはじまる~!と子供たちは大はしゃぎ。嬉しくて爆発しそうだ。喜びが全身から溢れている。
ディーンが数日前に持ってきたノートと色鉛筆が子供たちの宝物だそうで、マニーシャという目のくりくりした女の子がノートを持ってきてみせてくれた。ラクダ、馬、花、家、お母さん。ディーンが書いたのだろう、各絵の横に英語でcamel,flower,house,motherとある。マニーシャが英語でそのタイトルを読んでいる。このマニーシャガールはとてもスマートで、家族の中心的存在だ。踊ったり、瞑想を見せてくれたりする。(瞑想をみせちゃうところがまた可愛い。)ノートはすでに絵でいっぱいであと数ページしか白ページがない。「ページがなくなったら、壁にお絵かきする~!」と子供たち「だめだよ、新しいノートを送るから待ってなさい」とディーン。今回ディーンは2週間この家に滞在するらしい。また来年も子供たちに会いに来たいといっている。
隣では別の子が椅子の穴の数を英語で数えている。「ワン、トゥー、スリー、オー、シックス、、」
覚えたてなんだろう、ときどき数をすっ飛ばしてしまう。小さな声で何度も繰り返す。聞きなれた英語の数が、どこか特別な魔法の言葉のように聞こえる。その子の想いが小さな声とともに伝わってくる。
4人の子供を産んだお母さんは25歳。「親が決めた結婚だったけど、いい人にあえて幸せよ」という。とても私と同い年には見えないおだやかさがある。女性特有の神々しさのようなもの。ファッションとか商売とか、そういうのに侵されていたら浮かび上がらないだろう、家族への愛情と安全・安心な家庭に育まれた女性性。下半身がどすんと座っている。
家の前にモーターバイクが到着したのが聞こえると、家族が門へと駆け寄っていく。仕事から帰ってきたパパのおでむかえだ。みんな、ハッピーそう。
夜はその家でごちそうになり(翌日おなかを壊した…)、屋上で寝させてもらう。星が綺麗だ。星を見ながら考えた。学校に行くのが、勉強をするのが、楽しくてしかたない、こどもたち。学ぶとは本来そういうものなんだろう。何のために学ぶとか、将来どう役に立つとか、そういうケチな考えではなく、未知なるものへの好奇心。そう思うと私も今、旅という学校で学んでいる感じがする。食べもの、色、神話、言葉、人、町。先生に溢れている。
教育が十分にゆき届いてない国がある。サポートを必要としている。ディーンのように、互いの温もりを感じる距離でサポートしている人に会うと、私にもなにかできないかと思わずにはいられない。が、そうおもってすぐに、おいおい自分の生活さえヨタヨタやないか、と。
素朴な家族と過ごすよき夜はあっという間にすぎていきました。
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