般若心経 是諸法空想
母国を出るまで自分の宗教さえ意識したことがなかった私ですが、最近般若心経に興味を持っています。本を読んでいたら、そうそう~と共感のオンパレード。自分は仏教徒だったんだとびっくり!です。いや、べつに宗教家になろうってわけではないですよ。ただ日本で成長したことで、生活の隅々から知らず知らずのうちに仏教的な考えがしみ込んでいたんだな~と改めて発見しているってかんじです。
その般若心経のなかでも気に入っている一節が「是諸法空想」
ある本では「この世のあらゆる存在や現象には実体がない」と訳されていました。
別の本では「ものに接したときに反応する心は個人の考えを超えた、肉体があるものに接して生じたときの自然的な反応なのだ」と訳されていました。
あさ目が覚めて太陽の光を浴びたときに気持ちがいいのは、理屈では説明できないし、突然鳥が飛んできて、わあ、と驚くのも、自分の経験から判断して危険だから驚いているわけではないし。目に見えるものごとや価値観にとらわれず、心を自然な状態でのびのびさせること、それができたらいいよな~
遠くの国の状況はニュースをチェックしない限りわからない。その一方で現場にいる人のことを思うと心が引き裂かれそうになり、ニュースをみるたびに心が重くなる。毎月毎週毎日、世界中で悲しい事件が起きていて、感情的になりすぎる自分と無関心な自分とを揺らつきます。いろんな想いが体を通さずに脳の中で膨らんでいく感じ。お釈迦さんは「是諸法空想だぜ」といったときに、どんな世界にすんでいたんだろう。自分の体をとおして物事をみていた時代と現代のようにインターネットで情報を得られる時代では悲しみの質も違う感じがする。
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