Cambodia アプサラダンス

ベトナムから6人乗りのミニバンで12時間、カンボジア北部にあるシェムリアップに到着。アンコールワットで有名な街だ。

ミニバンの乗り心地は過去最悪。でこぼこの道を猛スピードで走りぬけた。振動と揺れで、もう、背骨も脳みそもぐちゃぐちゃになったんじゃないかとおもう。

ぐちゃぐちゃになった脳みそで見る窓の外の世界は茶色。砂ぼこりの中のマーケット。ベトナムに比べてバイクの数は少ない。バイクライダーの2/3くらいはヘルメットをかぶっていないから、まだ法律がそこまで厳しくないのかな。ベトナムも2年前まで、ヘルメットをかぶる法律はなかったそう。

到着したシェムリアップはバックパッカーが沢山いる。英語をしゃべる人も多いし、マーケットやバーが沢山。飲んだくれて楽しく過ごすには快適そうな街だ。昨日会った若い男性もこの街に惚れてもう3週間もステイしていると言っていた。

昨晩はカンボジアの伝統舞踊アプサラをみた。

といっても観光者用のダンス。ショーの後、なんとなく満足しきれなくて、マネージャーに会いに舞台裏へ。話をすると、先生に会いにいけばいい、と言われ、先生の住所と名前と電話番号をもらった。ホステルに帰ってすぐ先生に電話してみたところ、今日レッスンを付けてくれることになった。どうなることやら。楽しみだ。

ここシェムリアップは9世紀から15世紀に発展したクメール王朝の都で、その時代、この地域では舞踊がメッチャ盛んだったらしい。アンコールワットにも舞踊の神様アプサラの姿や踊り子の姿が彫られているというから、興味深い。

カンボジアの舞踊について調べていると、なかなか悲惨な歴史をたどっているのが分かる。

クメール王朝はタイのアユタヤ朝に攻め込まれ、その時に多くの舞踊継承者がタイへと連れ去られた。(これによってクメール文化の消滅+タイでカンボジア舞踊をベースとした舞踊が発展。)その後19世紀末にフランス領インドシナとしてフランスに支配されたとき、フランスの保護を受けてカンボジア舞踊を取り戻す動きがあったけど、1975年のポルポト政権の時には約9割の踊り手や音楽家が処刑された。

舞踊は書物で残せるものではないし、継承者を失うとその伝統を受け継ぐのは相当難しいだろう。古典のカンボジア舞踊を取り戻す動きがあった時なんて、アンコールワットに彫られていた踊り子の絵から演目や衣装のヒントを得たというから面白い。

さて、今日会う先生はどんな人だろう。ポルポトの処刑を免れたカンボジア舞踊の継承者。

面白い一日になる予感がする。

柿崎 麻莉子 | Mariko Kakizaki

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